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2010年6月3日木曜日

『かこつける』(3)

これまた、大野・佐竹・前田三先生(Iwanami kogo jiten (Japanese Edition)
)にお尋ねしてみました。すると、『かこつく』という下二段活用の動詞(先生方の辞典では『かくつけ』という連用形の形が見出し語です)は、「カコチツケの約」と書かれています。つまり、『かこつ』の連用形に『つく』(「付ける」の意味の下二段活用の動詞)が付いた『かこちつく』に由来し、それが音韻縮約で『かこつく』となったと説明されているのです。これは、kakoti-tuku > kakottuku > kakotukuのように、促音便と一般に呼ばれる現象が生じた結果と分析されているのではないかと思います。
 この『つく』は、いわゆる「連体形が終止形を食う」現象(英語でも「与格が対格を食う」という現象が起こりました)で『付く』から『付くる』となり、「連用形の優位性」(これは琉球語で「連用形+uN(woriに相当)=終止形」を生じたのと同じ傾向ではないでしょうか)によって『付くる』は『付ける』になりました。その結果、『かこつく』の語形も平行して『かこつける』に変化していったのではないかと思います。
 ここで無視出来ないのは、現代日本語で『かこつける』という言葉を用いる際、この『付ける』という要素を明示的ないし暗示的に話者たちが意識しているのではないかという点です。『なすり付ける』、『押し付ける』のように、「原因・理由・責任」を転嫁することを表現する際に用いられる動詞にも同じ要素が含まれていることから、明示的ではないにしてもそれらに共通する「~のせいにする」という意味内容が再解釈されたり、強化されたりしているのではないかと考えられます。
 現代語の『かこつける』が、もはや「不満に思って、文句を言う」というような意味を持たず、従って『託ける』のように漢字で書かれると今ひとつ語の意味との結び付きが想起しにくいように感じるとすれば、それは、このように『なすり付ける』、『押し付ける』のような類義した意味内容を表す動詞との共通要素『つける』の存在によって、「~のせいにする」の意味が一層強化されたことによるとも考えられないでしょうか。

『かこつける』(2)

そこで、私が日本語の語彙について考える際に先ずは相談に乗ってもらうことにしている大野先生、佐竹先生、前田先生(の例の辞典:Iwanami kogo jiten (Japanese Edition)
)にお尋ねしてみました。すると、「物事の原因・理由・責任を他人や他のことにかこつける言葉」の意味の『かこと』(『託言』と漢字では書くそうです)という名詞に由来するとのことです。
 ここで、『かこと』は「他の人や物事のせいにしようとして発せられる言葉」という意味であるため、そのため『託言』のように『託』という漢字が用いられていると理解して良いのではないでしょうか。もちろん、何かを「人や物のせいにする」のと、「人や物に託す」のでは、随分ニュアンスも違いますし、後者は信頼して任せている印象を与えるのに対して、前者は責任逃れをして物事を投げ出しているように聞こえます。とはいえ、「自分の持っているもの、自分にあるとされているものを他の人や物に渡す」という出来事の構造は共通しています。
 そして、「原因・理由・責任」をひとたび他の人や物に渡してしまうと、今やその人や物に「原因・理由・責任」があることになりますから、それによって生じたとされる状況に対する不満や文句は、その人や物に対して向けられることになります。そんなわけで、例えば「AさんがBさんに向かってある状況ついて『かこつ』」とすれば、「AさんはBさんにその状況が不満だと言っている」ことになります。もし、その「原因・理由・責任」をAさんがBさんに託した(!?)(つまり「原因・理由・責任」がBさんにあると判断した)とすれば、当然「AさんはBさんを責めている」ことになります。あるいは、「原因・理由・責任」が別の物や事にあるとAさんが思っているなら、「AさんはBさんに愚痴を零(こぼ)している」ことになります。
 このようなしくみで、「不満に思って、文句を言う」ことと「~のせいにする」ことが表裏一体の関係であることが分かります。現代語で使われる『かこつける』には、もはや「不満に思って、文句を言う」というような意味は殆ど感じられません。ですが、「不満に思って、文句を言う」ことと「~のせいにする」ことの間に、このよう関係があることが分かると、古典語の『かこつ』と現代語の『かこつける』が歴史的に繋がっていることが納得できるのではないでしょうか、さて、それでは『かこつ』という語形が『かこつける』になってしまったのはどうしてなのでしょうか。


『かこつける』(1)

『病気にかこつけて休む』のような言い方で用いられる『かこつける』という動詞の意味について考えてみたいと思います。この動詞が「~のせいにする」くらいの意味で用いられていることは、多くの人が理解出来るかもしれません。けれども、この言葉は漢字で『託つ』と書かれること、古典語では『かこつく』もしくは『かこつ』という表現に相当することは、現在の日本語話者に広く知られたことではないかもしれません。私もこれまで読んだ文章の中で出くわし、辞書を引くなどして、いつしかこれらの事実を知るようになったのでした。それでも、そこに何ら疑問や興味を持つことなく暮らしておりました。
 ところが、今年の春先だったでしょうか、奈良時代およびそれ以前の日本語に見られる母音の甲乙の区別について考え直してみたくなり、あれこれ調べながら源氏物語をいくらか読み直す中で、そういえば『かこつ』という表現は「不満に思って、文句を言う」の意味で用いられることが割と多かったなと感じたことがきっかけで、現代語の『かこつける』との関係に注意が向きました。はて、どうして「不満に思って、文句を言う」という意味の『かこつ』が「~のせいにする」意味になってしまったんだろう。また、『かこつ』の発音が『かこつける』と変ってしまっているのは何故だろう。そんなことをふと考え始めたのでした。
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