使用頻度の低い語形が据わりの悪いものと感じることから、何かもっと据わりの良いもの形はないものかと模索しがちだということを指摘しました。『要る』を例にすれば、『要って』よりも『要りて』の方が幾分据わりが良いように感じて、特に書き言葉ではそちらを選択する人もいるかもしれないという話をしました。このように、より据わりの良い形式を選ぼうとする話者の意識という点から、『矢を射った』、『矢を射って獲物を仕留めた』の方が自然だと言う人さえいるということに説明を試みてみましょう。
古典語以来の言語事実に照らしても、(1)と(4)に挙げた『矢を射た』、『矢を射て獲物を仕留めた』が標準的な観点からは正しいとされる形であることは明らかです。ところが、『射た』、『射て』という形はどうも据わりが悪いと感じる話者が少なからずいるようです。『矢を射た』と『矢を射った』、『矢を射て』と『矢を射って』、『矢を射ない』と『矢を射らない』、『矢を射ました』と『矢を射りました』、『矢を射よう』と『矢を射ろう』をネットで検索してみると、次のような数字が得られました。
『矢を射た』:約 164,000 件
『矢を射った』:約 51,800 件
『矢を射て』:約 179,000 件
『矢を射って』:約 73,200 件
『矢を射ない』:約 4,940 件
『矢を射らない』:約 562 件
『矢を射ました』:約 3,530 件
『矢を射りました』:約 83 件
『矢を射よう』:約 22,700 件
『矢を射ろう』:約 1,190 件
前回お話したように、『要る』は終止形・連体形・仮定形が『居る』と同じ形になります。『射る』は『居る』と同様な語形(いわゆる活用形)を取る種類の動詞なのですが、今回の話題の最初の箇所で述べたように、同士自体の使用が『居る』などに比べて限られており、様々な語形の使用例に触れる機会が少ない話者が多いようですy。そのため、『要る』が取る語形との類推も働きやすくなります。つまり、
未然:i-(nai)(射ない) <居ない
連用:i-(te)(射て) <居て
終止:i-ru(射る) <居る
連体:i-ru(射る) <居る
仮定:i-re-(ba)(射れば) <居れば
命令:i-yo(射よ) <居ろ
のような語形を用いると、未然形や連用形に当たる場合がどうも据わりの悪いように感じるわけです。寧ろ、
未然:ir-(anai)(射らない) <要らない
連用:it-(te)(射って) <要って
終止:ir-u(射る) <要る
連体:ir-u(射る) <要る
仮定:ir-e (ba)(射れば) <要れば
命令:ir-o(射ろ) <要ろ
のような語形を用いる方が据わりが良いと感じることが往々にして生じます。そのような判断をする話者たちは、『矢を射た』、『矢を射て獲物を仕留めた』よりも、『矢を射った』、『矢を射って獲物を仕留めた』の方が自然だと感じるわけです。
このように、動詞のいわゆる活用というのは、活用のタイプが厳然とあって、そのどれかに振り分けられるというよりも、活用形と呼ばれるものに相当する個々の語形(否定の-(a)nai、丁寧の-(i)masu、完了の-(i)ta、連続の-(i)te、仮定の-(r)ebaなどと共に用いられる場合の形)を他のより典型的な(使用頻度の高い)動詞の語形との類推で、より据わりの良いと感じる形が選び取られているということが分かります。
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