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2010年8月20日金曜日

『射る』(5)

 標準的な日本語という観点からは、『矢を射た』、『矢を射て獲物を仕留めた』となるべきところを、話者によっては『矢を射った』、『矢を射って獲物を仕留めた』の方が自然だと感じることの動機について述べてきました。けれども、同じ話者が『射止める』や『射通す』のような表現に気付いたり、あるい思い出したりしたらどうでしょうか。
 もし、『居る』ではなく、『要る』と同様な語形を取る(いわゆる活用をする)という前提に立つと、『射止める』や『射通す』に現れる『射る』の形と矛盾することに思い当たるかもしれません。けれども、その前提で想定される『射り止める』や『射り通す』という形は、どうにも据わりが悪く感じるでしょう。この段に及んで、『射る』が『止める』や『通す』に続く場合は、いわゆる連用形を取るはずで、その形が『射止める』や『射通す』では『いり』や『いっ』ではなく『い』なのだ。それでは、同じように連用形に続く『(~し)た』や『(~し)て』の前に『射る』が付いた形は、『射た』や『射て』なのではないかと推論を重ねるかもしれません。
 こうした思考の筋道をひとたび辿ると、当初、『矢を射った』、『矢を射って獲物を仕留めた』の方が自然だと感じていた話者にとっても、『矢を射た』、『矢を射て獲物を仕留めた』の方が俄然自然に思えてくるということも起り得ます。あるいは、そうなると『矢を射った』、『矢を射って獲物を仕留めた』がそれこそ据わりの悪い表現にさえ感じてくるかもしれません。
 とはいえ、このような推論を誰もが辿るわけではありません。一生、そのようなことには思い及ばない話者も少なくないのではないでしょうか。そうした話者の中では、『矢を射った』、『矢を射って獲物を仕留めた』、『矢を射らない』、『矢を射れ』、『矢を射ろ』などの表現が依然として据わりの良い(あるいは決して悪くない)語形であり続けるかもしれません。また、『射止める』や『射通す』とも直接に突き合せて考察されることもなく、従って、それらと矛盾を感じることなく、実質的な効果としては、

未然:ir-(anai)(射らない)
連用:it-(te)(射って)、ir-imasu(射ります)
終止:i-ru(射る)
連体:ir-u(射る)
仮定:i-re-(ba)(射れば)
命令:ir-o(射ろ)もしくはir-e(射れ)

のような活用に相当するものとしてまとめ得る語形を用いるのではないでしょうか。
 既に指摘したとおり、動詞のいわゆる活用というのは、活用のタイプが厳然とあって、そのどれかに振り分けられるわけではないということが、こうした実例から理解できるのではないでしょうか。いわゆる活用形と呼ばれるものは、あくまでも否定の-(a)nai、丁寧の-(i)masu、完了の-(i)ta、連続の-(i)te、仮定の-(r)ebaなどと共に用いられる場合に、据わりが良い(悪くはない)と判断された個々の語形であって、それらが五段活用、上一段活用と呼ばれる体系に合致する保障は必ずしもないのです。実際、同一の活用形と看做されるものに複数の語形が並存している場合が厳然と存在します。すぐ上でまとめた『射る』の活用形を例にすれば、連用形や命令形はまさしくそうした例に該当します。
 こうした語形の振幅幅(しんぷくはば)のようなもの、英語ではleewayとでも呼び得るものでしょうか、そうしたものが存在する中に、言語使用と言語体系の本質が見え隠れするものです。こうした活用形に相当するものの多様性、柔軟性は共通語でも存在しますが、地域方言と呼ばれる長い伝統を持つ言語体系(方言体系)に一層豊かに観察されるようです。沖縄、九州、中国、四国、関西、中部、関東、北陸、東北、北海道など日本列島の各地の話者と『射る』の語形あるいは活用といったものを話題にしてみると興味深いことが沢山見付かるかもしれません。上一段活用をするとされる、たった一語の動詞に過ぎないかもしれませんが、とてつもない幅広い日本語文法の世界へと続く扉の一つなのかもしれません。

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