『私は驚かされた』は、『私は驚いた』と対応する自動詞で表現出来るところを、わざわざ『驚かす』という他動詞を用い、それを受身にすることで表現しています。『私は驚かされた』は、『私は驚いた』の違いは、例えてみれば『彼は死なされた』と『彼は死んだ』の違いに相当します。後者が単に「彼の死」を表現しているのとは対照的に、前者には様々な含意が読み取れます。「彼自身に死の原因や意志があったのではなく」、「誰かの意図あるいは何らかの力が彼を死へと追いやった」、「死ぬ必要はなかったが、死ななければならなくなった」、「死ぬはずではなかったのに、死ぬ羽目になってしまった」、「当初本人は死ぬ気が無かったが、その気にさせられた」、「誰かが止めることも出来たはずだが誰もせず、気の毒なことに彼自身はそれを止めることが出来なかった」などの文脈が十分想定されます。
これは、日本語の使役表現が持ち得る「無理やりそうさせる(英語ではmake/forceなどで表現されます)」、「そうなることを止めない(英語ではlet/allowなどで表現されます)」、「そうするよう促す(英語ではhave/induceなどで表現されます)」といったある程度の幅のある意味のいずれもが読み込み可能であることに起因すると思われます。また、日本語の受身には「迷惑」の意味が込められやすいという傾向にもようるようです。同じようなしくみから、『私は驚かされた』には『私は驚いた』には含意されない、そうした幅広い解釈が可能になるのです。
『私は驚いた』が単なる「私の驚き」を表現するに留まるのに対して、『私は驚かされた』には「私自身には驚きの原因はなく」、「誰かの意図あるいは何らかの力が私を驚きへと追いやった」、「驚く必要はなかったが、驚かなければならなくなった」、「驚くはずではなかったのに、驚く羽目になってしまった」、「当初驚くことは予想していなかったが、驚いてしまった」、「誰かが阻止することが出来たはずだが誰もせず、困ったことに驚きを避けることが出来なかった」のような含意が込められるのです。
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